九州の歴史をきざむ・四王寺山 [ 四王寺山:410m ]
大城山〜百間石垣(40分)
すぐ分岐に着く。 分岐にはベンチが置かれ、吸殻入れも用意されている。
すぐ先の左手には道標が立てられ、左手へ「大野城市」と案内され、先に石造りの鳥居が見える。
右手には
赤い鳥居
が目に入る。
行く手の道を確認するため、赤い鳥居をくぐると、右手に道標が立てられ行く手を「センター」と案内され、ヒノキ林の中に気持ちのよさそうな道が伸び下っている。
この道は、数度車道を横切り「四王寺県民の森」入口へ通じる。
途中右手に24番札所がある。
道標の左手にも
「野外音楽堂」と案内する道標
が立てられ、百間石垣はこの道標を見ていく。
額束に「正一位 玄徳稲荷社」と書かれた赤い鳥居をくぐり、分岐へ戻り「大野城市」と書かれた道標を見て、右手へ
石造りの鳥居
をくぐっていく。
道は、鳥居をくぐらず直進して大城山へ行くこともできる。
鳥居をくぐるとすぐ石段を21、2段、さらに9段登ると毘沙門堂の前に出る。
毘沙門堂を正面に左手を見ると、古いトイレが目に付く。
大城山は、トイレの右手へ下り、鳥居の手前から直進した道を横切り、少し登ると
大城山頂
に着く。
大城山頂には、山頂標が立てられ標高「410m」と書かれている。
国土地理院の二等三角点の木柱は、横倒しになり腐れかけている。
山頂は展望はなく、腰を下ろせる雰囲気もなく毘沙門堂前に戻る。
毘沙門堂を過ぎ左手へ回りこむと、25番札所がある。
山記録に関係はないが、こんな山中にモグラが生息しているのか、土中を歩き回ったような土の盛り上りを随所で見かける。
毘沙門堂の周りは、落ち葉は隅に寄せられ砂粒一つないほど掃除され、辺りには数本の大木が毘沙門堂を守るように幹を伸ばし、なんとなく神々しい気配を感じる。
狭い石段を下り祠の前を通り抜けると、左手に
「野外音楽堂」の道標
を見て左折していく。
正面には
草地
が広がり左右にベンチが置かれている。
道は草地の左手に付けられ、左手にベンチを見て左手へカーブし下っていく。
道はすぐ木段になり、木段は土に埋もれるように蛇行し43・4段、さらに37・8段を数え、ヒノキ林の中を下って行く。
さらに傾斜を増して60段ほど下ると、傾斜は次第にゆるみベンチを見て3〜4分も下ると、平坦なヒノキ林の道になる。
ヒノキ林の道は、雑草が生えだし道幅を狭くしている。
草道を少し行くと、
木段
が付けられ、10数段下りさらに30段ほど登るとゆるやかに下りだす。
さらに10数メートルも行くと、正面ヒノキ林の合間に
宝満山
がさらに左手へ目を移すと三郡山頂の白いドームが見渡せる。
道はすぐ傾斜を強め、左手へカーブし22段ほど下っていく。
木段は、段差は小さく一機に下ることができる。
しかし、次第に傾斜を増してくる。
少し行くとまた木段になり、7段ほど数え右手へ巻いて下っていく。
さらに
右手へ鋭角にカーブし
下って行く。
木段の下りは、関節に体重以上の重力が加わり、足をいたわったほうがいい。
40段ほど木段を下り、右手へ数メートル下ってまた木段になる。
さらに左手へ下って行くと、右手に緑色のタンクを見る。
木段は25段ほど数える。
すぐ右手へカーブし5段ほど下って左手へカーブし下って行くと、T字形の三差路に着く。
右手へ下り、車止めを抜け擬木の階段を22段ほど下り車道を横切ると正面に
野外音楽堂
がある。
音楽堂の背後には、三郡山から砥石山を経てショウケ越へ伸びる稜線が静かに横たっている。
T字形の三差路を左手に下り、大城山から別ルーとで下ってきた道と出会い、落ち葉の道を右手へカーブし、途中右手にベンチを見て行ってもいい。
車道に出ると右手にはトイレが設置されている。
正面に音楽堂を見て、左手へ車道をS字状に5〜60メートルも行けば、
右手に道標
が立てられ「百間石垣」と案内されている。
道標と黄色い車止めの間を抜け、再び登山道を行く。
すぐ左手に登る踏む跡もあり、支尾根伝いに踏み跡が付けられているが、小さいアップダウンは覚悟のこと。
直進すると、右手にも分岐し下っているが、さらに直進してゆるやかに登っていく。
道は季節柄、雑草に覆われ歩く幅だけ開けている。
正面東側には、
宝満山から左手三郡山にかけて稜線
が樹間に見え隠れする。
さらに狭い道を少し下り、ゆるやかに登っていく。
この辺りは天井は開け、直接太陽の暑い日ざしを受けてしまう。
少し行くと、左手北東に方にも展望が開ける。
さらに、
狭い草道
をゆるやかに下って行く。
右手には小径の桜が数本植えられている。
平坦な道を少し行くと、数メートル急坂を登り正面に展望を見てすぐ急坂を下る。
正面に開ける展望を楽しみながらほぼ平坦な道を20メートルも行くと、正面にコナラの木か、1本目印のように幹を立てている。
コナラの木に触れ、左手へ数メートルの急坂を下る。
急坂にはロープが付けられている。
急坂を下ると、道はほぼ平らになる。
右手には植林された
桜の木
が多い。
この辺りも土塁なのか、平坦な草道は続く。
ほぼ平坦な気持ちのいい道を、桜の枝をくぐり右手へカーブして行くと、正面にひときわ目立つヒノキが1本幹を伸ばしている。
10数メートルも進むと津、
右手に道標
が立てられ、道は左手へ分岐している。
道標には、左折して「野外研修場」行く手を「百間石垣」と案内している。
道標に従い、平坦な道を直進していく。
途中、栗に似た木の枝をくぐり、右手へ蛇行し下っていく。
正面には、また宝満山から三郡山へ連なるなだらかな稜線を見る。
稜線の左手には白いドームも確認できる。
快適な道を少し下ると、突然急坂になり左右に蛇行し下っていく。
しかし、道はすぐ傾斜をゆるめてくれる。
左手には、転落防止のためかロープが張られている。
すぐ、左手に林が開け、見事な石垣が目に付く。
これが
百間石垣
である。
百間石垣は、石垣の長さが約180mに及ぶことから、そのような名が付けられたという。
石垣も土塁と同じように、敵の侵入を防ぐための城壁の一部で、谷間など起伏の大きい場所に石が積み上げられたという。
百間石垣の高さは平均して4メートルほどあるというが、川底は9メートルにも及ぶという。
ちなみに傾斜角度は75度で造られている。
少し下ると、右手に工事用の立て看板が立てられ「登山道」と書かれている。
すぐ、
草地を誘導するようにロープ
が張られ、その間を通り左手へカーブし下っていく。
草地には、土嚢が並べられその上を歩いていく。
途中、右手から下ってくる長い木段を見る。
さらに右手へカーブし下って行くと、
正面に車道
が見えてくる。
道は車道の手前を流れる沢に沿って左折していく。
左手を見ると、
ダイナミックな百間石垣
が整然と連なっている。
特別史跡 大野城跡 百間石垣
大野城の城壁は土を高く盛り上げた「土塁」で囲んでいるが、起伏の激しい地形のため谷間は土塁ではなく石を積み上げたダムのような石塁とし、急傾斜部は石垣を作るなど工夫をこらしている。この「百間石垣」の名称は、四王寺川の部分を石塁とし、それに続く山腹部を石垣とした城壁で、長さが180mほどであることから名付けられたものである。平均4mくらいの高さが残っており、川底部では石塁幅9mほどある。外壁面の角度は75度前後である。 この川の中から今までに3個の礎石などが発見されており、川に近い場所に城門があったと考えられる。
少し行くと左手に擬木の石柱が立てられ「百間石垣」と書かれている。
左手へ石垣に近づいてみると、石垣の下の大きな
岩の下から水の流れ
を見る。
その岩の間には、隠れるように石仏が安置されている。
さらに下って行くとすぐ右手へ
沢を渡るようにロープ
が張られ、そこを行くと車道に登り着く。
車道沿いには百間石垣の説明板が立てられている。
車道を左手へ2〜30メートル下ると、右手に北石垣への木段が登っているが、草が生え踏み跡は薄い。
さらに北へ車道を下って行く。