歴史と修験の山・宝満山 [ 829m ]
三合目休堂跡 → 殺生禁断の碑(所要時間:約15分)
道標から3〜4分も登ると、目前が開け左手道沿いに2台のベンチが置かれ休堂跡に着く。
右手には、
標柱
が立てられ「3合目 休堂跡」と案内されている。
標柱左手には「あなたです 山を守るも 火をだすのも」と書かれた立札が立てられている。
左手奥の方には、
有智山城跡への案内板
が立てられ「有智山城址:0.9km」と案内されている。
有智山城は、北部九州に勢力を誇る名族少弐氏の居城で、1226年築城以来11代300年続くが、北部九州の覇権争いに常に巻き込まれ、菊池軍や大内軍に破れ落城の憂き目にも遭い少弐氏の滅亡と共に廃城になっている。
歴史の城跡までは、20分ほどでたどり着く。
ここは一の鳥居から350mほど登ったところで、宇美町や北谷方面から登ってきた道と合流する場所であり、平安のころから休堂が建てられ、体を休めた場所だという。
正面にも標柱が立てられ
「徳弘の井」
と案内されている。
その奥には、常時
冷たい水
がパイプから流れ出、そこにはヒシャクも用意され、喉の渇きを満たしてくれる。
ここで少し足を休ませ息を整えた方がいい。
足を休めたら重い腰を上げ「徳弘の井」の標柱から右手へ
石段
を登っていく。
右手には、大きなスギがコケむし道に沿って倒れている。
大きく幹を伸ばすスギを見て、左手へカーブしさらに石段を登っていく。
左手にも大スギが幹を立てている。
石段を少し登ると、
台風の影響
か左手からスギが倒れかかり、 ここをくぐり、さらに石段を登っていく。
3〜4分も登ると、左手に標柱が立てられ「4合目」と案内されている。
さらに左手に大スギを見て、右手へカーブし石段を登っていく。
右手には、
数本のスギ
が道に沿って倒されている。
標柱から石段を3分も登ると、右手に「九州自然歩道」と書かれた四角い案内板が立てられ、直進するように矢印が付けられている。
石段を登りきったところで
道は┤字形に分岐
し、正面にも同じ案内板が立てられているが、矢印は左折するように案内されている。
ここはどちらを行ってもいい。
左手へ行けば、数メートル先に
木製のハシゴ
が付けられている。
右手へ数歩行くと、わずかばかりの空地があり、
2台のベンチ
が置かれている。
ここでも、石段に疲れた足を休めればいい。 ベンチの後ろには救急箱も置かれ、 一息ついたら直進して行く。
すぐ左手へ向きを変え木橋を渡っていく。
この木橋には、
赤い手摺
が付けられ違和感を感じないではない。
この橋を渡ると、左手からハシゴを登ってきた道と出会う。
すぐ
案内板
が目に付く。
案内板には「この美しい自然はみんなのもの 植物を大切に ゴミは捨てないで」と書かれている。
さらに整然と敷かれ石段を登っていく。
今見る機械がない時代、これだけ大量の岩を運び込み、手作業で積んだ労力は想像を絶するが、それを支える信仰心の高さも想像し難い。
石段を左右へジグザグに登っていくと、途中左手には、
積み木を横倒ししたような岩壁
に目がいく。
さらに左手に大きな岩を見ながら、
果てしなく続く石段
を登って行く。
赤い手摺の木橋から3分あまり経ったころ、
右手に標柱
が立てられ「宝満山頂まで1000m」と案内されている。
時間の割には、なかなか距離は縮まない。
そして、大きな一枚岩の上を右手へ遠巻きにカーブしていく。
途中何度か立ち止まりながら足を休め登っていく。
右手には、ほとんど腐れてしまったスギが道に沿って倒れている。
すぐ先の右手には、数本の大きなスギが行儀よく並んで幹を伸ばしている。
頭上に倒れかかったスギをくぐっていくと、石段は段差を増し少し狭くなる。
さらに左手へカーブ、狭い岩場を行くと正面に日が差し込んでくる。
ここを登りきると、左手に
展望
が開け太宰府市の町並みを眼下に収めることができる。
石段を登り、初めての展望に気分は晴れ、疲れが抜けていく。
さらに石段を右手へ登っていく。
登りきり振り返ると、ここからも展望が得られる。この場所の視界は広い。
ここで一息つき、一時でも展望を楽しみ気持ちも休めればいい。