全国有数の修験霊山・英彦山 [ 中岳:1200m , 北岳:1180m ]
上宮 → 北岳(所要時間:約20分)
道は、拝殿の左手を右手へ回り込んでいくと、下方には公園でも見るような
山頂広場
が現われ、手すりのある石段を降りその広場に着く。
この山頂広場では、登山者の多くがここで休憩を取り昼食を楽しむ光景が見られる。
右手には
中岳休憩所
の建物もあり、中にはベンチも置かれ東側展望が一望できる。
左手には数台のベンチも置かれている。
広場奥の北側には、
赤い文字で「英彦山」と刻まれた大きな木柱
が立てられている。
ここでゆっくり時間を取り、これまで汗を流し体感した石段の登りや、昔日の山伏の修験を思い浮かべながら、山頂での一時を楽しめばいい。
上宮直下には、早田さん夫妻経営する売店も置かれ是非利用したい。
南岳・北岳合わせ英彦山三峰という。
北岳には最初に降臨された天之忍穂耳尊(あまのおしほみみのみこと) 中岳はイザナミノミコト、南岳はイザナギノミコトの三神がそれぞれ祀られ、三所権現とも呼ばれている。
権現とは、仏の仮の姿のことである。
修験霊山として知られる英彦山は、出羽三山・熊野三山と並ぶ日本の修験霊山のひとつに数えられ、宝満山と共に九州を代表する霊山である。
修験盛んなころは、3800坊を数える山伏の住居があったとされる。
古来、日本の神々は樹木を依代に降臨すると信じられ、その神々に対し大自然の様々な自然現象に、あるときはその恩恵に感謝し、またあるときは自然の猛威に恐れ、その怒りを鎮め、加護をもとめてきた。
また山伏は心身を清め、荒行を重ねるうちに神と一体化すると信じ、英彦山全山を修験道場としていた。
こうして山そのものが御神体化し霊山英彦山が形成されていった。
英彦山の歴史の名残りは、今日も随所にうかがえる。
山名は、古代遠賀川流域に北九州文化圏が形成され、英彦山はその東方にあり、日いずる山としてあがめられ、平安初期までは日子山と言われたが、嵯峨天皇の命により「彦山」と改め、江戸時代霊元法皇より「英」の尊号を賜り、以後「英彦山」と呼ばれるようになったという。
さらに、英彦山は、日本三大霊水の一つでもあり、山頂近くの、産霊神社にも湧き水があり登山者の喉を潤してくれる。
水は、農耕社会において何よりも大切なもので、古来水の神としても全山が信仰の対象となっていたと聞く。
英彦山を修行の場とする山伏にとっても、水は火と並んで重要なもので、儀礼のシンボルともなっていた。
行者にとって、水は体を清め煩悩を洗い流し、水による仏への再生を体得させてくれる聖水でもある。
英彦山
英彦山は昭和25年、耶馬溪日田と共にわが国最初の国定公園に指定されました。 山は、数百万年前に噴火した安山岩の溶岩台地が浸食されて深い谷や峰となったものです。 山頂は、中岳・南岳・北岳の三峰からなり、阿蘇・九重・雲仙の山々や周防灘が眺められます。
<環境庁 福岡県>
さて、昼食を済ませ体を休めたら北岳を目指す。
北岳への道は広場北側の左手に付けられ、中岳を背に北の方へ向かって行く。
右手には案内板が立てられ「この美しい自然はみんなのもの 植物を大切に ゴミは捨てないで」と書かれている。
少し行くと、道はゆるやかに下りながら左手へカーブしていく。
その突き当たりに、赤文字で
「トイレ」
と書かれた案内板が木の枝に掛けられている。
北岳はこの三叉路を右折し下っていく。
三叉路から右へカーブしながら1分も行くと
岩場
が現われ、鎖が付けてある。
鎖を手に降りても良いが、左手の岩の上を行っても、道はすぐ合流する 鎖場を用心して降り、岩を巻くように少しばかり下ると
北岳が展望できる
。
岩壁には大木が寄りかかっており、その下をくぐり下って行く。
さらに倒木くぐり抜けていくが、ここで道は合流する。
少し下るとまた
道をふさぐような倒木
をくぐってもいいが、倒木の手前から右の方へ岩場を下ってもいい。
この辺りは倒木が多い
。
岩場を降り平らな道を少し行くと、三角形をした岩が正面に現われる。
道は、その三角岩の先から左へ岩の間を抜け下っていく。
岩には、このコースを登りにとる登山者向けに
赤いペンキで矢印
が塗られている。
岩場の行程は慎重に下って10分ほどで下りきる。
右手には樹間に北岳がその姿を見せている。
さらに岩の段差を登り、岩場を下っていく。
岩場が終わると、
正面に北岳
を見ながら快適な平坦な道となる。
快適すぎて距離が縮まるのがもったいないくらいである。
道の両脇にはササが密生している。
夏場は葉が茂り、心地よい木陰を造ってくれる。
冬場は、暖かい陽光が気持ちまで暖かくしてくれる。
右手前方には北岳が穏やかな姿を見せ、登山者が来るのを待つようにも見える。
さらに
快適な道は続く
。
北岳へは、直進して急登を行くことはない。
左手へ回り込み、そこからゆるやかな稜線を右手へ辿ることになる。
平坦な道をゆっくり3分ほど歩くと、
左手に標柱
が立てられ「中岳:0・4km 南岳:0・6km 奉幣殿:2・6km」そして行く手を「北岳:0・4km 高住神社:1・3km」と書かれている。
ここを、ゆるやかに右へカーブして行く。
途中、倒木が道をふさぐように横たわっているが、足場がくり抜かれている。
北岳への道は、左手西側の方から稜線を登り山頂へ伸びている。
平坦な道を少し行くと、
ゆるやかに登り始める
。
道は広く蛇行しながらササ道を登って行く。
徐々に勾配は増してくるが、息が荒れるほどの急登ではない。
目を山腹に上げると、道は右手へ大きくカーブし、山頂に向かって伸びているのがわかる。
右手には、樹幹の間から
中岳上宮
を見ることができる。
平坦な道から10分ほど経つと、
正面に大きな岩
が現われ、その左手を通り過ぎ、さらに左へカーブし登るとすぐ北岳山頂に達する。