header_rogo.png

九州山クラブ アウトドアを楽しもう!九州の山々を登山記録として紹介

ホームホーム福岡県の山福岡県の山佐賀県の山佐賀県の山大分県の山大分県の山熊本県の山熊本県の山長崎県の山長崎県の山宮崎県の山宮崎県の山鹿児島県の山鹿児島県の山その他の県の山その他の県の山

HOME > 九州の山 > 福岡県の山 > 岩石山 > 山の記録7

福岡県の山

戦国の堅城を勝る平成の岩石城・岩石山 [ 454m ]

車道出会い → 駐車場(所要時間:約25分)

CIMG0946.jpg
CIMG0947.jpgCIMG0948.jpg
CIMG0950.jpgCIMG0951.jpg
CIMG0953.jpgCIMG0949.jpg
CIMG0955.jpgCIMG0959.jpg

すぐ左手に車道がある。
急登・急坂の連続でもう登る気になれない。
展望台を辞め車道を散策気分で駐車場へ戻ることとする。

車道歩きも悪くはない。
後ろを振り向くと、岩石山が別れを惜しむように樹間に見える。
急登・急坂に悩まされた岩石山もここから見ると、穏やかな、山容に見える。
車道を3分も下ると、右手に展望台から下ってきた道と出会う。
その左手には、 吾妻屋 もあり、ゆっくり休憩できる
もあり、ゆっくり休憩できる。

4月初旬、ここには桜の花が満開する。
左手へカーブし さらに3分も下ると、左手に鷲越ルートの登山口がある。
このルートは距離は長いが、その分傾斜は少なく、こちらを下った方がよかったかも知れない。
左手に 不動池 を眼下に見ながら、のんびりと帰る。
そして右手に平成の 岩石城 を見ると駐車場に着く。
岩石城でぜひ温泉にでも入って体を癒したいものである。

岩石山武将の碑
天正時代の岩石城は、古処山城の秋月氏の勢力下にあった秋月種実の時には、全盛期を迎え、24支城を支配し、36万石を領した。 天正15年(1587)4月1日、豊臣秀吉は、九州平定の要の戦として、島津・秋月連合の重要な砦である岩石城を、15万の大軍を揃え攻めた。 大手(芥田)搦手(熊井)が守る3000の守備兵は、奮戦したが1日で破られ落城した。 熊井超中久重は、秋月種実に命じられ、天正15年(1587)まで岩石城を守備した武将である。彼は種実旗下の最も有力な家臣である、勇猛果敢な兵3000人を抱えて、秀吉軍に抗戦し討ち死にした。 芥田恵六兵衛は、熊井越中守と共に、死守した武将である。「太宰管内誌上巻」には、天正10年(1582)の大友・秋月合戦の時, 単身敵陣に乗り込み、並外れた気力と太刀で、大友方の将臼杵中務将輔の首をかき、秋月種実の命を救ったという武勇伝も伝える。

LinkIcon山の記録6【 山の記録7 】スライドショーLinkIcon

pagetop_off.pngpagetop_off.png