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福岡県の山

戦国の堅城を勝る平成の岩石城・岩石山 [ 454m ]

山頂 → 八畳岩(所要時間:約7分)

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山頂標には、「岩石山」と白文字で書かれている。
山頂には立派な木製の展望台が作られ、そこに登れば添田町が、同じように一望できる。
展望台には、方位盤も置かれている。

筑豊の名城、岩石城は、1150年代、平清盛が築城、城主に大庭平三景親を置いたとされる。
1300年後半、乱を起こした大友氏鑑は、三日三晩攻め続けて城を落し、息子氏公を城主にさせている。
さらに翌年、山口の大内義弘の反感をかい、弟・盛見が岩石城を攻め、 氏鑑を自刃させ落城させている。
また秀吉の九州攻めでは1日で落城。
岩石城は秋月24支城中最堅固な城であったが、名城の落城で秋月種実親子の降伏の引きがねとなる。
1615年、徳川時代になって、一国一城の令により、廃城・破却されている。
一息ついたら、直進して八畳岩を目指す。

展望台の階段を下りた左手には、標柱の文字板が幹に付けられ 文字板 には、行く手を「馬場跡:100m・国見岩:150m・八畳岩:200m」と書かれている。

八畳岩へは、この文字板を左手に、直進するように東の方へ、 すぐ左手へ階段を10数段下る。

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下りきると、すぐ右手に 標柱 が立てられ、ここは三叉路になっており、右手は奥の院へ行く。
八畳岩へは、ここを直進して行く。

道はこれまでとは全く異なり、歩きやすい平坦な尾根道を行く。
道には落ち葉が多く、サクサクとリズミカルな音が心地よく聞こえる。
尾根道を通り抜ける風も気持ちいい。
昼食は、山頂で取らず、帰路この辺りでとってもいい。

右手から倒れ掛かる木をくぐり、さらに平らな道を行く。
急坂では、登るのが精一杯で言葉も出ないが、ここでは余裕が出てくる。
五感も生き返り、小鳥のさえずりが実に可愛いく耳をくすぐってくれる。
快適な道は、ゆるやかに蛇行して行く。

標柱から1、2分足らず歩くと、 左手に「馬場跡」と書かれた四角の立て札 を見て、さらに平坦な道を行く。

また右手から倒れかかる木をくぐり、少し行くと登りだすが、すぐ傾斜はなくなる。
さらに1分余り行くと、大きな国見岩の前に立つ。

正面左手には、 立て札 が立てられ「国見岩・獅子岩・梵字岩」と書かれている。
国見岩を登ることはできるが無理はしなくていい。

国見岩の右手を行くと、正面の岩肌に、朱塗りされた文字が刻まれている。
これが 梵字岩 であるが、梵字は読めない。

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岩場を抜け、少し行くと三叉路になる。
ここには、木の根元に案内板が置かれ右手へ下ると、八畳岩へ行く。
ここを直進して行くとすぐ 「大砲岩」 に着く。
大砲岩は角度を選んで見ると、なるほど、日露戦争時代に出てくるような大砲によく似ている。
大砲岩を見たら、三叉路に戻り、大砲岩の台座になっている大きな岩の右手をゆるやかに下っていく。

すぐ、八畳岩の前に着く。
岩の前には立て札が立てられ、白文字で 「八畳岩」 と書かれている。
ここには丁寧に踏み台が置かれている。

ここを登ると、広さはたしかに 八畳ほどあり平らになっている
しかし、少し傾斜している。
八畳岩からは、東の方から南にかけて展望が得られ、英彦山辺りが一望できる。

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