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佐賀県の山

鋭鋒を辿る・虚空蔵山 [ 609m ]

岩窟 → 山頂(約25分)

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岩窟 は、数人がビバーグできる広さがあり、火を焚いた跡が残っている。
右手には木製の案内板が掛けられ「山歩き荷物にならぬ火の用心」と書かれている。
元に戻り、数メートル登ると分岐につく。
ここには標柱が立てられ、直進すると「木場」へ、右折すると「金屋神社」へ、そして山頂は左折し南側へ登っていく。
標柱の柱には、緑色のパネルが付けられ、山頂まで400メートルとも案内されている。
ここで一息つくといい。
左折してスギ林の中を ゆるやかに登って行く と道は徐々に傾斜を増してくる。
分岐から20メートルほど行くと、左手へカーブしすぐ正面に スギが道をふさぐように倒れ 、これを踏み越え進んでいく。
ここを過ぎると周囲は自然林に覆われ、人工林は見当たらない。
道には岩が多くなり、傾斜はさらに増してくる。

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急坂を少し登ると、右手に大きな岩壁が現れる。
道はその岩壁に近づくように右手へカーブし、さらに左手へ岩壁に沿って登っていく。
右手には、 結び目が付けられたロープ が付けられ、それを手に用心し登っていく。
岩場は、足元を確かめながら登っていく。
岩場を登りきると、道は右手に折れ岩の多い道を登っていく。
少し登ると道はY字形に分かれ、左手は露岩が多くどちらにもトラロープが張られている。
左手、岩道 を数メートルも登ると左右の道はすぐ合流する。

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さらに左手へカーブし少し登ると、道はまっすぐ伸び右手にはトラロープが張られている。
左手にも踏み跡が分岐しており、対照的に蛇行しながら伸びている。
記憶に乏しいが、以前は直進する道はなく、蛇行する左手の道を登っていたように思える。
ここを登ると、右手から下ってきた支尾根に着く。
正面には、 「八」番標柱 が立てられている。
道は、この標柱の手前から右手へカーブし登っていく。
少し行くと、道は左手へカーブ コケむした岩道 を登ると、ほぼ平らな狭い尾根道になる。
左手を覗き込むと垂直に切れ落ち、数メートルではあるが足元に注意しながら通り抜ける。
道には、コケに覆われた露岩が多くなり、トラロープも張られ岩の隙間を登っていく。
支尾根の右手斜面に付けられた、ほぼ平坦な道を登って行くと三叉路に出会う。
左手には、 東彼杵町の名で標柱 が立てられ、左手へ「東彼杵町」と案内している。

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右手にも標柱が立てられ、山頂を案内してくれる。
支柱には「川棚町」と書かれ、山頂まで150mと書かれたパネルも付けられている。
さらに左手には、手水洗いが置かれ、その縁にはなぜか硯が置かれている。
この辺は自然林が密集して薄暗く、なかなかシャッターが切れず、スイッチを入れたままにせざるを得ない。
ほぼ平坦な道を直進して行くと、右手に公園で見るような 木製の防護柵 が付けられている。
道は平坦で山頂への足取りは軽く、快適に歩を進めていく。
途中歩行を邪魔するように露岩が張り出し、右手の柵も途切れてしまう。
柵のある道を1分も行くと、柵はなくなり 傾斜の大きい石段 になる。
石段は自然石を積み上げ造られ、石段の左手には鎖が垂らされている。
途中、石段はすれ違いできないほど狭くなり、下ってくる登山者を確認しながら登っていく。
しかし、登り優先で下山者が道を譲ることとしたい。
上段近くまで登ると、鎖は両側に張られ、石段は数えると85,6段ほど数える。
辛抱して登り切ると変則の十字路に出会う。
ここには 標柱 が立てられ、山頂は左手へ、直進は木場新道へと案内されている。
また、「九」番標柱も立てられている。

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山頂へ足を向ける前に、右手北側へ数メートル行くと、西から東側にかけて 眺めのいい展望 が得られる。
展望を楽しみながら息を整え山頂を目指すといい。
山頂は、ここを引き返し左手に石段を見て直進し、南側へ自然石の石段を登っていく。
ほぼ平坦な道を少し進み、 傾斜の大きい石段 を螺旋状に回りながら登っていくと、山頂稜線にたどり着く。
石段は50段ほど数える。
稜線の道は、左右に伸び右折して岩稜を行くとすぐ 正面に2基の石祠 が見えてくる。
虚空蔵菩薩を祀った石祠に「味噌」を塗れば菩薩がのどを乾かせ、雨を降らせるとの言い伝えがあり、雨乞い祈願の山とも伝えられている。
山名はこの菩薩から付けられたとも言われる。
石祠の横には「虚空蔵大菩薩」と刻まれた石柱が立てられている。
山頂標は、石祠を通り抜け西側突端に立てられ山頂標と並んで方位盤が据えられている。
山頂標には標高608mと書かれているが、方位盤には609mと表記されている。
少しくどいが、国土地理院発行の地図には608・5mと記載されている。
ここからの展望は素晴らしく、西側眼下に波静かな大村湾が一望できる。
南東の方へ目を向けると経ヶ岳や多良岳の遠望が望まれる。
ここで昼食でも取り、体を休めたら往路を帰る。
東西に走る山頂の東側突端までは、しっかりした道が伸びているが、その先は垂直に近い下りが待っており、ロープはあっても無理しないがいい。 山名は、山頂の形が虚空蔵菩薩宝冠に似ているところから付けられたともいう。
山ろくには、地元嬉野茶の起源とも言われる、300年を越える「大茶樹」があり、国の天然記念物に指定され一見に値する。入口にはトイレも設置され迷うことはない。
さらに、嬉野温泉も是非計画したい。

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天然記念物・嬉野大茶園
指定年月日 大正15年10月二十日
茶はツバキ科に属する常緑の潅木で製茶用として広く栽培されている。 十月頃白色五弁の花を開き果実には通常三個の種子がある。 嬉の茶は一四四〇年、唐人船が平戸に来て嬉野村皿屋敷谷(現在の皿屋敷)で陶器を作り又茶樹を栽培して自家用に供したの始まる。 降って十六世紀の始め明人紅令民が南京釜を持参して唐製茶を試み好結果を得た。 その後慶安年間(一六四八〜一六五一)肥前白石郷の吉村新兵衛当地に移住し山野を開墾し茶種を播いたのが嬉野茶の起こりであると伝えられている。 この大茶樹は吉村新兵衛が播種したものが成育し残存したものであると伝えられ樹令およそ330年と推定され茶の代表的巨樹として学術的価値が高いものである。
<嬉野町教育委員会>

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