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佐賀県の山

戦国の歴史の香り漂う・城山 [ 503m ]

城山 → 登山口(約70分)

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山頂広場にたどり着くと、山頂は左手へ広場を行くが、その前に右手へ物見岩からの展望を楽しむといい。
眼下には鳥栖市郊外の田園風景が得られる。
戦国時代も終わりを告げる頃、時の城主筑紫広門はこの物見岩から5万の大軍を率いる島津軍を見て、その胸の内はどのようなものであったかは想像の域にない。
目を引くと、山腹が削られ土がむき出しになっているが、道路が作られているらしい。
聞けば、 広域基幹林道が建設 されているとのことで、完成予定は平成21年度だという。
工事は遅れているとのことではあるが、この道路が完成すれば利便性は高まる反面、筑紫神社をから登る登山者は減り、新道から登れば山頂まで30分もかからず登山の味わいがなくなってしまう。
しかし、これに逆らってもどうしようもない。
足元には四等三角点の木柱が立てられている。
岩の間にはベンチが用意され、展望を楽しみながら一息つけばいい。
山頂勝尾城跡へは、北側へ広場を行く。 広場にもベンチが用意されている。
少し行くと右手に、十三仏を経由し筑紫神社へ通じる 東コースの下山道 が伸びを数メートルも下れば、当時の面影を示す石垣が今も残っている。
山頂をさらに北進すると 正面に勝尾城の説明版 が立てられている。
木陰には、石仏も多く安置されている。

城山(勝尾城跡)
城山は、九千部山ふところに包まれ、前面には群石山・鷹鳥山が立ちふさがる天然の要害です。 海抜標高494mの頂上には三段の平坦部があり、北側には「倉床」と呼ばれ礎石や石垣が残っています。南側の「物見岩」からの展望はすばらしく、筑紫平野が一望に見渡せます。 勝尾城か記録に見えるのは応永30年(1423)から天正14年(1586)までの170年間、その間城主の移り代わりは目まぐるしいが、明応6年(1497)以降は満門−惟門—広門と三代にわたる筑紫一族の本拠地になっています。 天正14年(1589)7月、薩摩島津軍の攻略により落城しています。周辺にも城郭に関連する施設や地名が数多く残っています。
<鳥栖市教育委員会>

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山頂城跡は、 説明板から右手へ石段をゆるやかに登っていくとすぐ山頂 に着く。
足元には、手水石か柱穴か機械彫りしたような丸い穴が掘られたコケむした岩が目に付く。
左手奥には、何かの建物跡なのか加工された柱状の石が昔日の面影を残している。
山頂は広く、落ち葉が厚く積もり寝転んで天を仰ぎたい
山頂中央部には、山頂を独り占めにしたように岩がどっしりと座っている。
この場所に、勝尾城本丸があったと聞く。
勝尾城は、1423年九州探題渋川義俊が、本拠地博多城を小弐氏に攻め取られ、この地へ落ちのび築城したものであるが、再び筑紫教門に奪い取られたものである。
筑紫氏は、守護職にある名門小弐氏の一門で、分家したとき本領が筑前三笠郡筑紫村にあったことから、その地名をとって筑紫と称したものとされている。
教門は、勝尾城は奪い取っても居城とはせず、筑紫一族がここを本拠地にしたのは、満門・惟門・広門の三代で全盛時代は支城や砦が二六ヶ所あったという。
筑紫氏が居城すると、秋月や佐賀鍋島の龍蔵寺隆信等と呼応し、豊後の大友翼下宝満城を支城に持つ岩屋城主高橋紹運との戦をくりかえしている。
しかし、1589年薩摩島津との戦では高橋につき、島津軍と生死を賭けたが、守りやすく攻めにくい自然の要塞も、 島津の大軍には及ばず落城、広門は秋月に捕らえられ久留米市大善寺あたりに幽閉されている。
後に、家臣に助けられここを脱し、秀吉から八女地方を受領している。
ちなみに高橋紹運と広門の妻は、豊後斉藤氏の子女で兄弟の関係にある。
高橋紹運はこの島津軍と岩屋城の戦で、735名全員玉砕している。

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さて、深い歴史の香りを感じながら広場に戻る。
広場から、東コースを下れば十三仏を経由し筑紫神社登山口に着き、今日の山歩きを結んでもいい。
しかし、歩き足らなければ、勝手に名をつけるが遠回りして西側コースを取る。
説明板を右手に見て、すぐ右手北側へカーブし林の道を行く。
すぐ 右手に道標 が立てられ「九千部山:4.0km」と案内されている。 前方樹間には、九千部山の稜線が見え隠れする。
山頂広場から ほぼ平らな道を100mも行くと 、下りだし急坂になる。
ここにも木段が付けられている。
道の両脇には露岩が多い
木段は蛇行して伸び30段を超える。
木段を下りきり、足に任せて下ると道はわかりづらくなる。
辺りはヒノキが植林され、右手へ意識して下ると道ははっきりする。
ヒノキの幹には目印に赤いテープが巻かれている。
道は次第に傾斜をゆるめ、幹には白いテープも巻かれている。

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ヒノキ林の快適な道を下って行くと、 ├字形の分岐 になる。
分岐の角には露岩が目印のように座っている。
ここを直進しゆるやかに下っていく。
気持ちのいいヒノキの道は、小さく蛇行しゆるやかに下り伸びている。
分岐から2分余り行くと、木段になる。
木段は蛇行しながらなかなか終わりを見せない。
このコースを逆に取ったら、足にこたえる、と内心ホッとしながら下っていく。
途中足をいたわりながら辛抱し下って行くと、150段を越えてしまう。
下りきると 三差路 に着く。
正面に道標が立てられ、右手へ「大谷へ:0.5km」直進は「九千部へ:3.5km」と書かれている。
ここで一息つき、右手に道標を見て九千部方向へ直進していく。
道は斜面に付けられ急に狭くなる。しかし歩きやすい。
右手は自然林、左手はスギ林が広がっている。
分岐から4、5分も行くとまた三差路 になる。

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道は右手へ分岐し「城山分かれ」と呼ばれるところなのか、右手へ木段を登ってばいけば九千部山へ通じる。
左手足元には、鳥栖山岳会の名で 小さな案内板 が立てられ「城山:580m 大谷:600m」と案内されている。
この三差路を直進しゆるやかに下っていく。
少し行くと、沢を流れる水の音が聞こえてくる。
道は右手へカーブし傾斜を強めてくる。
道沿いには、所々に赤いテープが幹に巻かれている。
傾斜はさらに増し急坂を降りると、右手に案内板が立てられ「ゴミや空缶捨てないで 鳥栖山岳会」と書かれている。
左手へ急坂をカーブし下ると沢に出会う。
足は、直進し沢を渡ろうとしてしまう。
直進して薄い踏み跡も付けられているが、この踏み跡は道を間違えた登山者の踏み跡で、道は左手へ沢と平行して付けられ岩の多い道を下っていく。
道は沢を歩くように、岩の多く薄い踏跡をゆるやかに下っていく。
しかし、40〜50mも下ると、 道らしく踏み跡もしっかり見えてくる
四角い案内板から1、2分も下ると、右手へカーブし沢を渡っていく。
季節にもよるが、沢を渡って靴をぬらすようなことはない。

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少し下ると、正面に陽だまりが見え明るくなり、道は歩きやすくなる。
黄色のテープが巻かれたスギの倒木をくぐり、コケに覆われた岩の多い道を下っていく。
右手に、水が流れ落ちる音に目を向けると、2mほどの 岩から流れ落ちる小さな滝 を見る。
少し行くと 苔むした丸太橋 に出会う。
しかし橋は壊れ、左手から沢を渡っていく。
岩の多い道を少し行くと、岩はなくなり歩きやすい落ち葉の道になる。

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落ち葉の道をゆるやかに下って行くと、辺りはよく生長したスギが目立ってくる。
足元にも、スギの小枝や葉が落ち葉を隠すように散らばっている。
壊れた木橋から5、6分も歩いた頃、また木橋を渡る
木橋は腐りかけ、用心して渡っていく。
道には小石が多くなってくる。
木橋を渡り2、3分も行くと、 赤・白・黄色のビニールテープが巻かれた木 が頭上に倒れ掛かり、これをくぐっていく。
道は次第に小石が多くなり、再び倒木をくぐると集めてきたように多くなる。

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しかし小石は次第に減り、支障なく歩けるようになる。
倒木をくぐり2分足らず行くと、正面右手岩の上に「あずまや・鳥栖」と書かれた案内板が置かれている。
足元には「安良川支川砂防指定地起点」と書かれた木柱も倒れている。
ここから 左手へ沢を渡っていく
対岸に渡ると、数本のスギに赤や黄色のテープが巻かれている。
さらに「←九千部山(川ヲ渡ル) 筑紫神社→」と書かれた 白い案内板 が幹に掛けられている。
道は、┬字形に分岐しているが、左手は立ち入り禁止にされている。
駐車場は右手へスギ林の中を下っていく。
スギの幹には赤や黄色のテープが巻かれ、筑紫神社を案内してくれる。
足元には「九千部山←→筑紫神社」と書かれた案内板が立てられ、筑紫神社を目指す。

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スギ林を少し行くと、小石の多い道になる。
道は広くわずかな傾斜で下っており、小石がなければ目を自然に向けのんびりとした歩きができるが、どうしても目は足元に向いてしまう。
右手には、 沢を流れる水 の音が絶え間なく聞こえてくる。
夏場は、その冷たい水に足をつければ、疲れは取れ元気が出る。
スギ林の道から6,7分も行くと、案内板が立てられ、道は右手へ鋭角に分岐している。
直進して駐車場へ帰る前に、道草もいい。
分岐を右折し、倒木をくぐり を渡る。

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左手にコンクリートの堰を見て、分岐から5、6分もゆるやかに登って行くと ロッククライミングの練習可能な岩場 があり、時折ザイルを張り岩壁に手を掛け登る人を見かける。
さて、一息ついたら 分岐 へ戻る。
分岐からスギ林の道を4、5分もゆるやかに下って行くと、 木橋 を渡る。
振り返ると、そこはY字形に分岐し案内板が立てられている。
案内板には、右手公道、左手私道と書かれ私道を歩いてきたことになる。
この分岐から2、3分も行くと駐車場に着く。
桜の季節は、さらに石段を登り筑紫神社境内に咲く桜の下で一息つくのもいい。
林道沿いにある四阿屋(あづまや)神社に立ち寄るのもいい。

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