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宮崎県の山

神宿る山・高千穂峰 [ 1574m ]

馬の背〜山頂(45分)

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火口を右手にガレ場を登ると、正面にこの場所に不似合いな岩色の岩が数個集まり、その脇に道標が立てられている。
道標には行く手を「高千穂峰」後方を「高千穂河原」と書かれている。
ここで一息つき、360度広がる展望を楽しみ「馬の背」と呼ばれる火口縁を直進して行く。
道はゆるやかな傾斜で伸び、砂礫の道は滑るようなことはない。
むしろ快適なに疲れは遠のき足は軽くなる。
快適な道を少し行くと、右手に 目印のような岩 が目につく。
この岩に触れると、傾斜はゆるみさらに快適歩行が得られる。
360度、視界に広がるダイナミックな展望に気分もいい。
少し行くと左手に石柱が目につく。
正面には、一歩一歩歩数を重ねるたびに高千穂峰が御鉢の稜線上に大きな山体を現し、終盤を迎えるドラマに気持ちはさらに高揚してくる。
右手に、また目立つ岩を見る。
振り返ってその岩を見ると、 人の顔 のようにも見える。
快適な道を少し行くと、傾斜を増しガレ場のような急坂になる。
ドラマは、まだ終盤には至っていない。
ガレ場を少し登ると、傾斜は大きいが小石の道に変わり登りやすくなる。
左手に岩 を見て通り過ぎ、その岩を見ると岩は道沿いぎりぎりに座し、ちょっと押せば轟音を立て転がり落ちそうな不安定な場所にある。
しかし、この岩も何百年も昔からこの場所にこの格好で、人目を引いているのか分からない。
目を上げると、正面に中岳の鈍頂を見ることができる。
その背後に新燃岳、そして霧島最高峰の韓国岳が威容を誇っている。
そして、正面に高千穂峰を見て馬の背越えの急坂を右手へカーブして行く。
少し登ると、右手にまた2個くっつき会う目印のような岩を見る。
この岩に触れ、さらに登って行く。
左手に目を向けると、足元から深く切れ落ち、高千穂峰の斜面に目を上げると、ものさしで直線を引いたような45度の斜面が美しい。
急坂はさらに続く。しかし傾斜は次第にゆるんでくる。

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御鉢東側の急坂を少し登ると、右手にまた2段重ねしたようなシンボリックな岩が目につく。
足を休めその岩を見ると、右肩には3個束ねたような電燈が立てられているがどんな役目で立てられているのか分からない。
左手には、カメラからはみ出すような巨大な高千穂峰が、登山者を威圧するように斜面を見せている。
その急峻な斜面には、山頂へ蛇行して駆け登る手ごわい道が見て取れる。
その道には木段も確認できる。
ドラマは終わるどころか、これから高千穂峰への本番が始まる。
少し登ると、道は左手へ分岐し下りだす。
斜面から目を引くと、足元から伸び下りきった鞍部が、荒涼とした高千穂峰との狭間に静かに落ち着いた光景を見せている。
左手には、 道標 が立てられ左手へ「高千穂峰」、後方を「高千穂河原」と案内している。
正面、数メートル先には案内板が立てられ「この先危険につき、通行できません」と書かれている。
ここで一息つき、峻険な高千穂峰を見ながら左手へ鞍部を目指し下って行く。
7〜80mも下ると、静まり返ったような 鞍部 に着く。
鞍部は「背門丘」と呼ばれ、ケルンのような石積みが造られ、その先に道標が立てられている。
高千穂峰に取り付く前に、ここで一息つき足を休めることとする。
正面右手先には、一辺が5〜6mもあろうか 正方形の石積み が見られる。
その中心部には木柱が立てられているが、既に腐りかけ基部だけが残っている。
ここが、1400年前の噴火に焼失した霧島神宮上宮跡か、中央権現と呼ばれ現在ある六社権現の基とされている。
現在、真新しいく、不似合いといえば失礼だが鳥居や祠が建てられている。
一息ついたら、「落石注意」の案内板を見てゆるやかな傾斜に付けられた木段を登って行く。
踏み跡は木段の左手に付けられている。
少し登ると、踏み跡は右手へカーブし、いよいよ高千穂峰の急坂に挑んでいく。
傾斜はなかなか厳しい。さらに小粒の石に滑りやすい。
しかし、覚悟の上の足は急坂に負けず前に出る。
一歩一歩を数えるように重い足を引き上げていく。
しかし容赦ない急坂は、さらに傾斜を増しているようにも思える。
木段は、1〜2m間隔で付けられているが、その1〜2m登るにも、ズルズルと滑る一歩に手間取ってしまう。
足にも余計にこたえ、距離はなかなか伸びない。

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鞍部から10分も経ったころ、振り返ると鞍部は深く沈みわずかな一歩でもかなりの高度を稼いでいる。
しかし前方を見ると、まだまだ荒涼とした溶岩の斜面は果てしなく広がる。
さらに左手は、一度滑れば戻ってこれないほどの傾斜で切れ落ち気も抜けない。
重い足を持ち上げるように、一歩一歩登って行く。
わずかな一歩でも、歩数を重ねれば山頂へ近づく。
論理どおりであるが、気持ちはそうとばかりは言えない。
神がお降りになったとされる神聖な場所への最後の試練が続く。
踏み跡は他にも幾筋か見られ、別の踏み跡を辿れば状況は異なる。
振り返って3〜4分も登ると、斜面を横切るように 右手へカーブ して行く。
そして山頂方向へ向きを変え、滑りやすい砂礫の斜面を登って行く。
ここにも木段が付けられているが、踏み跡は左右に薄く付けられている。
2〜3分も登ると、前方右手に木柵が見えてくる。
正面には日の丸の旗も見えてくる。
山頂は目前にあり、右手に木段を見て砂礫の斜面を登って行く。
山頂を目前に、つい気は焦るか一歩一歩がもどかしく、なかなか近づかない。
しかし、歩を重ねるごとに日の丸は近づき、やっとの思いで山頂に立つ。
山頂 は木柵で囲まれ、その中心部に霧島神宮の御祭神瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が天孫降臨時に、逆さに突き立てたという霧島東神社の社宝「天の逆鉾」が目を引く。
しかし、この逆鉾が神代の時代に作られた道具とは思えない。
逆鉾は、性空上人の弟子達が置いたとも言われる。
左手自然石に文字板が埋め込まれ「霊峰 高千穂峯」と刻まれ、左手には歌碑が立てられそばに一等三角点の石柱を見る。
ここから遠く北側には市房山が望まれるというが、この日ははっきりしない。
そして聖地を時計回りに回りこみ左手に道標を見て、少し行くとまた道標が立てられている。
道標には「霧島東神社:5km」と案内され、東側に見る 二子岩 へ一条の道が尾根筋を駆け登っている。
すぐ正面に赤い山小屋の屋根が見え、手前から左手に降りると山小屋玄関口に出る。
山小屋では、各種のみやげ物や記念品の他、ビールなど飲み物が販売されている。

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山小屋は、現在歴代の石橋さんの親族、林満男氏が峰守代理としてしっかりと守っておられる。
売店の中に入ると、正面に歴代の峰守の写真が大事そうに飾られている。
林さんの悩み事は、意外にも売店ドアの錠を壊され盗まれることだという。
錠はドイツ製を使い、金具は厚いステンレスを使用しているが、それでも壊されるとして嘆いておられる。
売店を出て、時計回りに南側へ進むと鳥居の奥に突き立てられた逆鉾を見ることができる。
天孫降臨伝説の場所にふさわしい畏敬と神秘を感じてしまう。
右手石積みには「天孫瓊瓊杵尊降臨之霊峯」と書かれている。
ここから南の方に開聞岳や桜島が見えるというがはっきりしない。
そして登り口の西側に立つと、真下に御鉢が大きく口を開けている。
その右手には、中岳・新燃岳・韓国岳の絶景を仰ぐことができる。
坂本龍馬とおりょうさんも登ったらしいが、さぞこの絶景に満足されたであろう。
帰路は、往路を下るか、左手岩場を下り富士山の素走り道を下るように砂礫を下ってもいいが、砂礫に埋まった溶岩も多く、滑りやすく登り以上に下りも難儀する。

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