バカ尾根を経て火口壁を行く・阿蘇高岳[1592.4m]
道標〜中間点(30分)
道標の上部には、火口付近の周辺地図が張られ、高岳:1120m 仙酔峡駐車場:720mと案内されている。
さらに、仙酔峡駐車場から高岳稜線に接続する仙酔尾根分岐まで120分とも書かれ、 地図を見ればまだ中間点まで達していない。
一息ついたら仙酔尾根を登っていく。
溶岩を覆っていたカヤトは次第に消え、
荒涼とした溶岩の世界
が視界を覆う。
足元の溶岩は、次第に大きくなってくる。
溶岩に踏み跡はなく、時折目に付く矢印を見て行く手を決める。
途中、一息ついて後ろを振り返ると、駐車場に描かれたヘリポートのマークが小さく見える。
横一線に広がる北外輪山の向こうには九住連山が静かに浮かぶ。
その左手には、こんもりと盛り上がる涌蓋山がなんとも可愛い。
岩場を用心していくと、またガレ場のような小石の尾根になる。振り返ると、尾根筋は古生代の
恐竜に見る背骨
のようにも思える。さらに道なき溶岩を登っていく。 道は次第に傾斜を増してくる。
気持ちに合わせ休んでしまえば、時間をオーバーしてしまう。足任せに溶岩を登って行くと、木柱から10分余り過ぎた頃また道標に出会う。 道標には、高岳:750m 仙酔峡駐車場:1090mと案内されている。
計算すると、中間点までまだ170mもある。
道標を見て一息つく理由ができたのか、また足は止まる。
そしてまた後ろを振り返ってしまう。
ここまでくれば、駐車場の車は豆粒ほどにしか見えない。
鷲ヶ峰で散った岳人達を偲ぶ石像や石碑は景色に沈み見ることはできない。気を取り直しさらに溶岩に取り付く。
少し登ると、正面岩に「止れ」と書かれた矢印が左手を指している。
その矢印に従い、一歩一歩踏み上げていく。
正面には、大きな溶岩の壁が景色をふさぐ。
そして、その溶岩の壁を避けるように右手へ出、矢印に導かれるよう登っていく。
右手に目を向けると、地球創世記を思い起こすような赤茶けた溶岩の世界が視界に広がる。
目を引くと何層にも重なった地層がむき出すこの特異な光景は、ここでしか見ることはできない。
ロープウエイを支えるコンクリート柱は、小指より小さく見える。
正面尾根筋には
溶岩のピーク
が構え、不安を殺し一歩一歩登っていく。阿蘇一帯は、8世紀から12世紀にかけ火山信仰と山岳信仰が結びついた、西国一の霊場だと言われている。
当時37坊と50余りの庵が建ち並び、400人近い僧侶が修行を積んだのだという。
しかし戦国末期、九州制覇をもくろんだ島津軍によって焼失したと言われ、今残る「坊中」「古坊中」の地名はここからきたと言われている。
昔日、修験者たちもこの仙酔尾根を登り、同じような光景を目にしたに違いない。
左手には、鷲ヶ峰が目前に迫ってくる。
そして、
溶岩の壁を登っていく
。
危険と思えば危険である。
しっかりと足場を確保しながら、3点支持で登っていく。
溶岩の壁を登り振り向くと、登ったとき以上に高度差を感じる。
人影は、わざと写したのではない。高度差に目を奪われ、撮ってしまった失敗作の一つである。
ついでに目を上げると、外輪山はずいぶん沈んで見える。
阿蘇谷を囲む外輪山を舞台に、その背後に九住連山が背景を飾るように静かに横たわる。
右端に見えるのは大船山か、そして左端に見えるのは涌蓋山か、胸にあふれるほどの思い出をくれた久住の山々を思い浮かべながら、いつまでもじっと見続けてしまう。
しかし、そうはしておられない。
仙酔尾根はまだ中間点にも達していない。
溶岩の道はまだ続く、高岳は遠い。高岳の断崖はまだ小さく思わずため息が出てしまう。
仙酔尾根は、「バカ尾根」とも呼ばれる。
長い溶岩の登りが続く為そう呼ばれる。
さらに、夏の暑いとき、頭に受ける直射日光と溶岩の反射熱を、上下から同時に浴びる溶岩の尾根を察してそうも呼ばれる。
さて向きを変え、また登っていく。
少し登ると正面に「止レ」と黄い塗料で書かれた溶岩を見る。この岩の前に立ち、
左右どちらを行くか
見定めればいい。
足の向くまま、左手へ楽な道を取れば踏み跡らしき小石の道になる。
左手には、いよいよ迫った
鷲ヶ峰
が岩肌を見せる。
昔日、鷲ヶ峰に立ち10mほどの垂直壁を降りナイフリッジを渡ったことがある。
しかし、今は怖く足は向かない。
鷲ヶ峰付近は浮石も多い。
その鷲ヶ峰は高岳斜面に少しづつ隠れてくる。 左手に木柱を見て右手へカーブすると、正面岩に「右へ」と書かれ、
右手へ岩棚
を登り、左手へカーブしていく。
そこには赤いロープが付けられている。
右手に目を下ろすと、赤い溶岩が恐竜の背骨のように一列に並んでいる。そのはるか遠くに、仙酔駐車場がかすかに見える。