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福岡県の山

展望がいい・三池山 [ 388.1m ]

登山口〜分岐 (25分) [ この区間の地図 ]

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登山口は、左手へ椋谷橋(むくだにばし)を渡って車道終点まで車を走らせてもいいが、記録上道沿いに駐車し直進していく。
左手へ橋を渡ってすぐ右手へ普光寺に向かって石段が伸びているが、今は通行禁止とされている。
右手に「三池宮 登り口」と書かれた道標を見て、舗装道を直進し登って行く。
ここからゆるやかな傾斜を東の方へ登っていく。
左手には、普光寺へ通じる石段がゆるやかな傾斜で伸びている。
先に目を向けると、普光寺の石垣やその上に並ぶ石仏が見えてくる。
登山口から200mも歩いたころ、正面に道標が立てられ、左手へ「普光寺」、直進を「三池山宮:1・5KM」と案内されている。
その先にはトイレが設置されている。
ここから左手へ石橋を渡り、コケむした古い石段を登って行くと普光寺境内に着く。
正面には寺の風格を現すようなイチョウが大きな幹を立て、左手には立派な鐘楼が建てられている。
その先には梅が植えられ、石柱に「臥龍梅」と刻まれ、その北側には展望も開け一息つくといい。
さらに右手へ石段を登って行くと、観音堂がその先には宝篋印塔や石塔群がある。

普光寺本堂および厨子
本堂は、中央部に四本の円柱をおき、周りを十二本の角柱で囲んだ古代の「間四面堂」の形式を引き継いでいる。また前方の円柱を境に前後二堂に分け、中世の密教仏堂に見られる外陣(前方の堂)と内陣の構成をなす。十七世紀中期(江戸時代前期)の形を保っており、県内でも同時期の者はほとんどなく、極めて貴重である。
厨子は、中に本尊(千手観音菩薩)を安置する。力強い造形と整った美しさを持ち、江戸時代前期にさかのぼる可能性があり、文化財としての価値は高い。

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石塔群は全部で83基あるというが、三池山に散在していたものをここに集めたものだという。
そして西側へ進み、右手に十三仏堂を見るとトイレのある三差路を直進した道に出会う。
そこには道標が立てられ、後方を「普光寺バス停:0・6KM」、行く手を「三池山・宮:1・5KM」と案内している。
その先にも並行して道が伸びているが、山頂への道は歩きづらい岩道を行く。
岩道は、「三池宮山上社山道」と書かれ、岩道を取らざるを得ない。
岩道を4〜50mも行くと植林地になる。
しかし、植林地には自然木や竹林が広がっている。
さらに、2〜30mも登って行くと、左手に民家が近づいてくる。
民家には「三池山妙心寺」と書かれ民家ではない。
寺を過ぎ右手に石仏を見ると、正面に鳥居が目に入る。
鳥居をくぐると、右手に石仏と並んで石祠の中にキツネのような動物が祀られている。
もちろんその訳は分からない。
すぐ正面に道標が立てられ、左手へ「普光寺:0・4km」、右手へ「三池山:1・3km」と書かれ、車はここまで寄せることができる。
右手は、山頂直下の分岐に通じ、帰路下ってもいい。
山頂は ここを直進 して行く。
右手に青銅製か、龍の口から手水岩にわずかばかりの水が注ぎ込まれている。
さらに、左手に祠を見て再び岩道を登って行く。
そして、コンクリートブロックの脇を通り、踏み固められた道を登って行く。
6〜70mも行くと、道は右手へカーブして伸び、すぐ左手に小児の石像が並んでいる。

県指定文化財 今山普光寺並びに定林寺石塔群
この石等群は、元々普光寺一帯の三池山麓に散在していたものを当境内に集め、配列したものである。総数83基で、五輪塔74基・宝篋印塔4基・特殊な形の石塔5基となっている。使用されている石材はすべて擬灰岩で、大きさは最大1・3m、最小で0・5mほどである。大半を占める五輪塔の特徴としては、各輪に所定の種子(梵字)を持っており、通常地輪(最下部)に入れる銘文が火輪(笠部)に刻まれたものが多い、などが挙げられる。
制作年代は、その在銘から正和六年(1317年)から永正十七年(1520年)の200年に及ぶ。また、紀年銘も北朝年号・南朝年号が混在し、南北朝期の混乱した状況が見て取れる。当石塔群は定林寺石塔群と共に、中世石造遺物の代表例として、福岡県の文化財に昭和36年4月指定されたものである。

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石像は、それぞれ表情は異なり、みんな口を閉ざしている。
水子とは、母親の腹の中でなくなった赤ちゃんのことをいい、水のごとく流れ去ったことから、そう呼ぶようになったらしく、地蔵は水子の幸せを祈った証ともいえる。
胸に特別なものを感じながらゆるやかに登って行く。
すぐ右手へカーブして行く。
道は、横穴の天井が抜けたように、3〜4mほど深い溝状の土壁の間に伸びている。
土壁には、根っ子がタコの足のようにむき出している。
10mも行くと左手へカーブ、5〜60mも登って行くと右手へ、さらに左手へS字を切って登って行く。
足元には岩が多く、その岩をよけながら足場を探すように登って行く。
そして、地中から抜け出すようなコケむした岩の右手縁から、左手へ回り込みさらに右手へカーブして行く。
途中足を休め10mも登って行くと、左手に道標が立てられ「至三池山頂 火の用心」と書かれている。
数メートル先の右手にもコンクリート支柱の 道標 が立てられ「三池宮へ」と書かれている。
踏み跡は、右手道標から分岐しているが行く手は分からない。
一息入れ、土壁の木段を登って行く。

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傾斜は大きくはない。
しかし、決してゆるやかでもない。
5〜60mも行くと、左手へカーブし高い土壁の道を行くと正面が開けてくる。

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