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福岡県の山

修験の山・求菩提山 [ 782m ]

登山道入口〜禊場(みそぎば)(30分) [ この区間の地図 この区間の高低図 ]

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狭い車道は、すぐ植林地に入り小さく蛇行して行く。
右手へカーブして行くと、正面に祠を見る。
さらに右手へ少し行くと、正面に思いもつかない石柱が両脇に立てられている。
右手石柱には「護国鎮國」左手には「攘災安民」と刻まれている。
石柱は、「構の石門」と呼ばれ、七重に巡らされた結界の一つで中間にあたる4番目の結界だという。
昔日ここには、木製の八角形の黒門があったという。
石門を過ぎ霊域に入ると、すぐ左手に青い立札が立てられ「求菩提山1・7km」と案内している。
脇には、求菩提山・犬ヶ岳のルート図も立てられ、確認すればいい。
さらに、車道右手にも立札が立てられ、首なし地蔵:0・1kmと案内している。
首なし地蔵は、明治新政府の神仏分離令によって仏教排斥運動が広がり、仏像仏具にとどまらず多くの建物までも破壊され、貴重な文化財は不安定な政府自らの手によって消滅することになる。
こうした首なし地蔵も、歴史の誤りの一端を後世に伝える証となっている。
気持ちを変え、ゆるやかな傾斜を行くと、右手斜面は、雨水にえぐられたように根っこがむき出し、すぐ左手には横しま模様の桜の大木を見る。
普段は、脳裏に満開した桜が浮かんでくるが、悲惨な首なし地蔵を見て気持ちがそうはさせてくれない。
すぐ、右手へカーブすると、右手岩壁をくり抜き5体の石仏が安置され、気持ちで手を合わせている
そして左手へ、すぐ右手へカーブすると、右手にも石仏が祀られ15体を数える。
さらにゆるやかな傾斜を登って行く。
左手から聞こえてくる水の音を聞きながら、100mも歩いたろうか正面に説明板が立てられ 「鬼石坊」 について説明されている。
ここは、山伏の住居跡だという。
右手には、精巧な手作りの石垣を見る。
説明板の右手を直進し、コケむした岩場を行ってもいいが、車道を左手へカーブして行く。
すぐ右手へカーブすると、崩れた石垣の斜面にスイセンが芽吹いている。
数坪の小さな茶畑も見るが茶摘みされていない。
お茶は、山伏にとって飲むためのものではなく、不老長寿や万病の薬として、あるいは禅修行の眠気覚ましとして使用されていたというが、領主や豪族達への進物としても用いられ、歴史上名高い大友宗麟や細川忠興の礼状も残っており、当時大変貴重なものであったことがわかる。
この地域のお茶は、茶で知られる栄西が中国から持ち帰り、脊振千坊として知られる脊振山麓に植えられたものが伝わったと言われている。
さらに右手へ廻って行くと、左手岩上にコケむした石垣を見る。
そして右手へカーブして行く。
さらに左手へカーブすると、右手に青い立札が立てられ「愛宕神社0・4km」と案内し、右手へ分岐している。
しかし踏み跡は薄い。
さらに左手へカーブして行くと、左手に葉がなくはっきりしないが、モミジが道に沿って植えこまれ、真っ赤に彩る秋の風情が脳裏に浮かぶ。
そして右手へ向きを変え、少し行くと左手に駐車場の案内板が立てられ、広い駐車場が整備されている。
奥の方にはトイレも完備し一息つけばいい。
トイレの前には、「求菩提・犬ヶ岳の自然」と題した説明板が立てられ一読すればいい。
これを直進すると、青い立札に行く手を「求菩提山・休憩所」と案内している。
右手には案内板が立てられ「この美しい自然はみんなのもの植物を大切にごみは捨てないで福岡県」と書かれている。その背後には、石垣の上に休憩所が見える。
これを、さらに直進してもいいが、記録上車道に戻る。
車道右手には、青い立札に「園地」と書かれ、右手斜面を登ると広い平地が整備され、右手に、平成2年国民体育大会が実施されたのか、記念碑が建立されている。
車道手前の中ほどまで戻り、 道標 を見て、右手へ「休憩所・求菩提山」の方へ行くこととする。
参道を思わすような平坦な道を行くと、左手眼下に駐車場の中にあるトイレが見える。
さらに直進すると正面に、また別の休憩所が見えてくる。
休憩所の中にはイスが用意され、腰をおろしてもいい。
休憩所左手を通り、直進すると左手に説明板が立てられ求菩提山について説明され、一読するといい。
すぐ石段を登ると、右手に青い立札が立てられ、直進して「求菩提山1・1km阿弥陀窟0・9km」と案内している。
直進して、車道を横切りさらに石段を登ると、また 説明板 が立てられ「座主坊」や「千日行」について説明されている。
正面には、見事に敷き込まれた自然石の石段が伸びる。
右手に石仏を、左手に座主屋敷跡を示す案内板が立てられ、左手にも石段が伸びる
一息つき、左手へ座主屋敷跡へ行くこととする。
石段は、7〜8段ごとに間をおいて3か所ほど付けられ、これを登って行く。左右にはスギが植林され、枝打ちされたのか定規を当てた線のように一直線に幹を伸ばしている。そのせいか、足元にはスギの葉が分厚く積もる。
100mも登ったろうか、ゆるやかな傾斜を登り右手へ向きを変えると、屋敷跡のような石垣がある。
その石垣を右手に見て行くと、座主の住居跡らしい300坪ほどの広い平地があるが、ここが、住居跡かどうか説明書きはない。今はスギが植林されその面影も見当たらない。
左手北側には、イチョウの大木か、その樹間に展望が得られる。
静かに展望を眺めていると、前方から水の流れが聞こえてくる。
釣られるように歩を進めて行くと、左手へ数メートル下った所に、右手岩壁に差し込まれた竹筒から、わずかばかりの水が流れ落ちている。
左手には、 説明板 が立てられ「禊場」(みそぎば)と題して説明されている。
禊場は、罪や穢れを神聖な世界へ持ち込まないために行う儀式で、修験者が修行を終えこの山へ戻るとき、滝行という形で身を清めていたのだという。
奥の方には、小さな祠も祭ってある。
さて、時計を見ながら石段の分岐へ、植林地に目を向け往路を戻って行く。

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