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福岡県の山

九州最大の山城跡と大樟原生林の山・立花山 [ 367m ]

山頂 → 松尾山(所要時間:約20分)

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山頂は、大勢の登山者がゆっくり腰を下ろせる十分な広さがある。
立花山頂からの展望は、博多湾や福岡の市街地が一望できる。
北東の方には、 松尾山・白岳 が並んで見える。
山頂からは、下原への道や三日月山への登山道が下っている。
立花城は、1334年大友貞載が筑前立花を所領して築城したものとされる。
立花城は、博多を見下ろす位置にあり、博多の利権をめぐって大友・毛利との間に城の争奪戦が繰り広げられ、貞載から七代目にあたる鑑載(あきとし)は、大友主家、大友宗麟のキリシタン信仰や悪政を嫌い、北部九州進出を狙う毛利元就と通じ主家に対し兵を挙げている。
元就は、立花城に援軍を送ると共に、宝満山城主・高橋鑑種は一万騎、高祖城々主・原田信種も反旗をひるがえし、立花勢は2万7千騎の大軍になったという。 これに対し宗麟は、戸次鑑連(あきつら:後の立花道雪)ら2万5千の兵(3万とも言われる)を与え、立花城攻略を命じた。
立花城攻防戦は、3ヶ月にわたって死闘を繰り返したが、この戦は大友勢の勝利に終わり鑑載は自刃して果てることとなる。
宗麟は立花城に戸次鑑連を居城させ、鑑連は名を改め以後立花道雪と称するようになった。
道雪には子がなく、後の宝満山城々主、高橋鎮種氏(後の高橋紹運)の嫡男をむかえ、道雪なきあと立花城々主を継がせてる。
後の柳川城々主・立花宗茂である。
立花城は、柑子岳城(臼杵氏)鷲ヶ岳城(大鶴氏)荒平城(小田部氏)宝満城(高橋氏)の中心的城で、立花城を含め大友五城と称されている。
以後、豊臣の時代になると、宗茂は柳川13万石へ移封、小早川隆景の家臣浦部兵部宗勝が城代として入城している。関ヶ原の戦いで徳川時代になると、筑前の太守となった黒田長政によって破却され、ついに立花城は姿を消してしまう。
さて、戦国の世に思いを寄せながら、昼食を終え、往路を取り下山する。
しかし、時間と体力に余裕があれば、戦国の名残を感じながら、北東に見える松尾山・白岳を目指す。
案内板には、山頂から松尾山までが18分・松尾山から白岳までが10分と案内されている。
松尾山は、山頂広場北側から直接目指してもよい。
または広場北側の階段を下り、先の松尾山・白岳縦走路の案内板があった三叉路から左手へ下って行ってもよい。

立花城旧跡
立花城は1334年に、足利尊氏の家臣として支えた大友貞宗(本拠地・豊後)の子、大友貞載の築城で、この地名の立花性を名乗って以来、立花氏は勢威を振るい、「筑前の要塞」として重要拠点となった。 戦国時代は、有数の貿易港・博多の利権争いをめぐって、立花城を舞台に熾烈な争奪戦が繰り広げられた。 戦国を征した豊臣秀吉が九州統一後、立花氏は柳川城々主として移った。 立花(山城)には小早川氏が入城したが、水軍を得意としたため名島に城を築く。 後に黒田氏が名島城に入城し、西暦1601年に福岡城を築いてより立花城は廃城となった。 福岡城の城壁の石は、主に立花山より移送したものが多く、立花山には僅かながら城の石垣が残っている。
<福岡市東区役所(1区1美事業)>

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山頂直下の分岐を、案内板に従い左手、西の方へ下って行く。
この道も、豊富な自然林に日は届かず薄暗い。
道は少し下ると傾斜はゆるんでくる。

両脇には笹が密生し、少し下り、右手へロープを手に急坂を数メートル下って行く。
ゆるやかな傾斜を少し行くと、また数メートルの急坂を下る。
ここにも ロープ が張られている。
すぐ三叉路となり、右手にはロープが張られている。
どちらを行ってもすぐ合流する。道は滑りやすく用心して下る。

下りきったところに倒木が道に沿って腐れかかっている。
ここも三叉路となっており、左手へバックするように南の方へ登っていくと、立花山頂広場の北口に出る。
ここから急坂を下って行く。
正面樹間に、 松尾山 の輪郭を見ることができる。
そして平らな道を行く。

さらに2本の大木の間を通り下って行く。
この辺りは自然林ばかりで落ち葉が多く、滑りやすい。
すぐ左手に「石垣跡」と書かれた 白い案内板 が立てられている。
ここを左手へ4、5メートルも行けば、正面に当時の 石垣 を見ることができる。
踏み跡はないが近づくことができる。

さらに、直進し10メートルも行けば、また右手にも石垣跡を示す案内板が立てられ、薄い踏み跡を右手へ行けば、高さ2メートルほどの石垣を目前に見ることができる。
案内の通り、石垣は福岡城築城にそのほとんどを使っており、貴重な史跡といえる。

松尾山は、さらに直進していく。 辺りは自然林の中にスギも混在している。
石垣を見てゆるやかに1分も登って行くと、右手に 標柱 が立てられている。
ここは三叉路となっており、左折すれば下原へ下って行く。
松尾山へは右手北側へ直進して行く。

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自然林とスギが交じり合う道を、ゆるやかに登って行く。
道は少しずつ傾斜を増し、三叉路から2分も登って行くと道は左へ鋭角にカーブし、すぐ右へ鋭角に急坂を登って行く。
さらに左へ、右へジグザグに登って行く。

左手は天井が開け、大きく平らな岩があり、 展望岩 がある。
展望岩と言っても、樹間に立花山かすかに見えるだけである。
しかし、一息つくのにいい。
さらに直進し登って行くと、松尾山山頂に着く。

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