戦国の風とツゲの原生林・古処山 [ 859m ]
山頂 → 古処山頂(所要時間:約50分)奥の院往復
山頂広場には、古処山・山の神として祀られ、白山神社の金色の祠が祀られ、幟が各所に立てられている。
右手には古処山について説明板も立てられ、左手には「古賀メロデー世界へ轟け富士登山隊」の記念柱も立てられている。
これは大川市の70名の勇士が、平成3年大川市に生まれた作曲家「古賀政男」とインテリアの街のPRのため、富士登山を決行し、カラオケボックスまで持ち上げ、山頂で古賀メロデーを歌った記念に建てられたものであるが、実はこれを主宰した者は他でもなく自身である。
左手奥の方へ、木製の手すりが付いた階段を登ると、左手に大きな岩があり、ロープが垂らされている。
ここを登り岩上に立つと素晴らしい展望を得ることができる。
反対側からも登ることができる。
すぐ先の左手には
道標
が立てられ「屏山頂 1.7km、馬見山頂 5.1kmと案内されている。
古処山
石灰岩のこの山は、白山権現をまつるところからも白山といわれています。 山頂には、9世紀ごろから修験道の霊場が開かれ、13世紀のはじめから約400年間は、領主秋月氏の山城がありました。 大將かくしや奥の院、馬攻め場、水舟などに往時がしのばれます。 古くから厳しく守られてきた方名植物と史跡の混在が古処山の特徴です。
<環境庁 福岡県>
一息ついたら、昼食前に少し時間をとって「大將隠し」まで足を伸ばすこととする。
「大將隠し」は、道標に従い屏山の方への道をとる。 道は、岩が多い尾根道を東の方へ行く。
岩場を越えると歩きやすい
平坦な道
になる。 しかし岩場がないわけではない。
平坦な道を「大將隠し」まで行ければいいが、それでは「大將隠し」にはならない。
岩の間を抜けながら、平坦な道を行くと、左手空地に石柱を見てすぐ急坂を下る。
すぐ先の左手にも
空地
があり、立ち止まりたくなる。
その奥の岩に立つと、
東側正面に屏山・馬見山への稜線が望まれる
。
しかし、岩の足場は不安定で長くは立っていられない。
岩が多い急坂を下ると、左手に九州自然歩道の四角い案内板が立てられている。
九州自然歩道は、馬見山への稜線を走り、陶器の里小石原を経て、英彦山へ延びている。
ここを右手へ、岩の多い急坂を下って行く。
足元の岩場に目を奪われながら下って行くと、周囲は深緑色にコケむした石灰岩が目立ってくる。
尾根筋に広がるしっとりとした様は、これまでの道のりとは全く異なり、
日本庭園
を見て感じるワビにも似た気持ちに浸ってしまう。
庭園の道は、有り難いことに傾斜はゆるんでくれるが、岩は多く足元から目ははずせない。
大將隠しへの道も楽ではない。
登山は、100の苦労に、10の味わいがあれば十分で、時が経てばいい部分だけが記憶に残る。
たっぷり時間を持った計画があれば、道草もいい思い出づくりになる。
庭園の道を2、3分も行くと道沿いには
ツゲの若木
が多くなる。
古処山のツゲは、オオヒメツゲと言われるが、樹種は分からない。
平らな道を1分足らず行くと、さらに岩が多くなり、倒木をくぐって行く。
道は尾根の左手斜面を小さく蛇行しながら、ほぼ平らな踏み跡が伸びる。
平らな道には、地中から
露岩
が顔を出しているが、そのほとんどがコケむしている。
さらに岩が多くなり、白い石灰岩に緑色のコケが日差しに輝き、実に美しい。
少し行くと、道は下りだし、下りきると左手に道標が立てられている。
ここは三叉路になっており、
道標
には、右手は「屏山頂へ1.4km 宇土浦越まで3・4km」また直進は「奥の院・大將隠まで10分、さらに古処山までは0.3km」と案内されている。ここを直進し下って行く。
道は、踏跡がしっかりしており道をはずれる心配はない。
すぐ、
深緑色に染まる岩道
を登って行く。
傾斜は少ない。
この辺りは、石灰岩が造り出す自然の造形は見事なもので、人の手では創作できるとは思えない。
見事な芸術美に目を奪われながら、自然が創造する力に、ただ感動し「大將隠し」を目指す。
1、2分も行くと、道は左手に折れ、用心して岩場を下る。
左手には、
枯れた倒木
が道に沿って横たわっている。
奥の院は、大將隠しと同じように大きな岩の割れ目がある。
規模は奥の院が大きい。
しかし、そこへ行くには3,4ヶ所
鎖場
を下りて行く。
危険と思えば近づかないほうがいい。
道はさらにその下の方へ延びているが、途中で見失う。
さて、自然の造形を楽しんだら古処山へ往路を戻る。